日本の電車の歴史 戦争

戦争

日本の鉄道は、戦争中には大変な惨禍を経験していますが、兵隊を戦地に送り出すために利用されていた歴史もあります。当時の電車は現在よりも簡素な構造で、一部は木造で作られていた種類もあり、敵からの攻撃に対しては脆弱な問題を抱えていました。地下鉄は貴重な施設とされ、避難場所としても重要な役割を担っていました。

戦況が次第に悪化すると、アメリカ軍は本土空襲を開始するわけですが、電車も攻撃の対象になっていました。B29などの爆撃機は、電車や機関車などの車両に対して、機銃掃射という攻撃を行ったのも戦争の辛い記憶の一つです。牟岐線の那賀川鉄橋の例も同じで、米軍からの機銃掃射を受けて、多くの犠牲者を出す大惨事を経験しています。那賀川鉄橋は今も現存しており、現在も電車が走っているのですが、トラス桁の部材には機銃掃射の際の弾痕が残されています。

西日本の地域では、岡山や福山をはじめとして、多くの城下町が空襲で焼け野原になり、市電も甚大な被害を受けています。広島と長崎では、原子爆弾が投下されたことで、過去に経験したことがないような被害を受けることになりました。戦争が集結してからは、戦災復興が急速に進み、戦後から19年後には新幹線が開業しているのですから、これもまた驚異的なことです。

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